アロハ
ハワイ在住のMikiです。
今回は脳外科医師として有名な上山博康医師を
フォーカスしていきたいと思います。
上山博康医師といえば、多くの人の命を救い
難しい手術にも挑戦されて
日本でも本当に数少ない有名な脳外科医師です。
管理人も何度も上山博康医師のドキュメンタリーを
拝見したことがあります。
今回は、上山博康医師の家族と生い立ち
そして兄との関係性や弟子についても
調査していきたいと思います。
上山博康医師が進める
医療ハサミメーカー高山医療機械製作所の場所やアクセス
ハサミの値段等についてはこちらの記事もどうぞ
POINT
上山博康医師の子供の頃のやる気がすごくて泣ける
上山博康医師の医師になろうとしたきっかけは?
それでは、このポイントを踏まえてチェックしていきましょう!
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目次
上山博康医師のプロフィールは?
上山博康医師の経歴プロフィールをはじめにまとめていきますね。
生年月日1948年現在70歳
日本の 脳外科医師
写真は青森県三戸郡 五戸町生まれ
次は上山博康医師の家族と生い立ちをまとめていきましょう。
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出身高校と大学は?
上山博康医師がの出身高校と大学を調査してみました。
出身高校は地元の青山県の高校に行かれていたのだと思いますが
どこの高校については 非公開はされておりません
その後北海道大学の医学部に進学することになります。
医者を目指したきっかけは
上山博康医師が医者を目指したきっかけは
幼い頃から非常に絵が得意であったそうなんですね上山博康医師は
美術の教師に目指すした方が良いのではないかと言われていたこともあったそうなんですが
日本の週刊誌に交通事故が増えてきて
脳を損傷することで死亡する人が好意日本には
もっと優秀な脳外科が必要だと書いてあったことから
その時もその言葉で自分を奮い立たせて
医学部に進学されたそうなんですね。
生い立ちは?
上山博康医師の生い立ちは 父親の仕事の都合で転勤が多かったそうなのですね
父親の仕事は自衛隊のパイロット
母親は洋裁をやられていたということなんですね
もともと青山県出身だったということで
青森にはやはり訛りがありますから
それでのその青森訛りで馬鹿にされたり
と転勤先でもクラスに馴染む ことができなかったことが
多かったそうだったんですね。なので決して幸せな
子供時代ではなかったということをおっしゃっていた上山博康医師
兄は?
兄の関係は
上山博康医師にはお兄さまがいらっしゃったそうなんですね
お兄様は弟の上山博康医師と比べると非常にイケメンでとっても
愛想が良くてはどこにでも
とても人気者になる可能性が高いお兄さんだったそうなんですね
そのお兄さんに何とかして負けたくないから
人前で勉強しないで家に帰って家族にも知られないように
夕飯後に押入れの中で寝て家族が寝た後
夜中1時ぐらいから勉強して
また家族が起きて車に寝るというような
凄まじい生活をしていたそうなんですね。
それこそがお兄さんに兄に勝たなきゃいけない
どこかおにいさんをライバル視しながら歩んできた人生だったということになるんですね
妻は?
上山博康医師には奥様がいらっしゃるそうですよ
奥様は盆栽をしていたときに
眺めていてアイディアが浮かんでくるなど
穏やかな夫婦関係を歩んでいるようですね
子供は?
上山博康医師にはお子さんがいるかどうか調べてきたのですが、
情報を見つけることが出来ませんでした。
しかし情報が見つからないだけで
上山博康医師には子供がいらっしゃるでしょうね。
すでにお孫さんもいるかもしれませんよ!!
弟子は?
弟子をチェックしていきましょう。
上山博康医師の弟子と言われていますの
が次世代を担う
脳外科医札幌逓信会病院副委員長兼脳卒中センター長の
谷川録野医師
谷川録野さんはろくのさんと呼ぶようです。
弟子の谷川録野医師プロフィール出身高校と大学は?
上山博康医師の弟子の谷川録野医師の出身高校や
大学と経歴をまとめていきましょう。
生年月日 1988年生まれ
岩手県立立花巻北高等学校を卒業された後
旭川医師大学を卒業されて
日本脳外科の専門医でもあり
東京医科大学病院脳神経外科県に影響されていらっしゃるということです
弟子の谷川録野医師の経歴は??
上山博康医師の弟子の
谷川録野医師の経歴をまとめていきましょう。
旭川医科大学卒業後旭川医科大学脳神経外科に入局くも膜下出血治療やその原因となる
破裂脳動脈瘤クリッピング術や困難な巨大脳動脈瘤など
たくさんの経験をされてきたと上山博康医師の弟子です。
私の経歴は旭川医科大学医学部を卒業後社会医療法人明生会
網走脳外科医リハビリテーション病院をの院長を経て
札幌禎心会病院で勤めていらっしゃいます
高山隆志さんとは?
高山隆志さん
高山医療機械製作所の脳外科ハサミを日本だけでなく
海外の医者もサポートしているということがわかりました。
日本の技術をつなげていくということは
すばらしいことです。
こうして日本の技術が世界に広がっていくことは
海外に暮らす日本人としてもとても嬉しく思います。
細かい作業が多いと思いますが、これからも頑張ってください!