丹下健三の妻は?娘と息子や孫も気になる。自宅や自邸も調査!




ALOHA!
ハワイ在住のMikiです。

今回は建築家の丹下健三さんについて
フォーカスしていきたいと思います。

建築家の丹下健三さんといえば
日本人建築家として最も早く日本国外で
活躍してきた世界的に有名な建築家の一人です。

今回は建築家の丹下健三さんついて
妻や子供もまた孫さんもいるのかについても
調査していきたいと思います。

それでは建築家の丹下健三さんについて
気になる方にお付き合いください。

スポンサードリンク

目次

建築家の丹下健三さんのプロフィールは?

それではまず最初建築家の丹下健三さんの
プロフィールをまとめていきましょう。

生年月日1913年大正2年9月8日生まれ
出身 愛媛今治市

2005年平成17年3月22日に 91歳にて
亡くなっていらっしゃいます。

建築家の丹下健三さんの生い立ちは?

建築家の丹下健三さんがどんな幼少時代を
過ごしてきたかと言いますと

転勤族の家庭で生まれ育ったということで
小さい頃から海外も含めて

住友銀行の職員であったお父様丹下辰世さんと
母親のテイさんの三男として育ちます。

小学校時代は上海で過ごされます。
その後父の出身地である愛媛県今治市に家族で移住

そのまま中学校へ進みます。

お父様には最初の奥さんとの間に
ひとり息子さんがいらしたということで

3人兄弟の3男として育ちます

丹下健三さんの出身大学は?

建築家の丹下健三さんは、
愛媛県の今治市に家族で移住し

そちらで中学校を卒業されます

そのまま

飛び級をへて旧制広島高校に進学されますが
大学受験で失敗をしてしまい

2年浪人することとなります。

その後日本大学芸術学部映画学科に在籍を
しましたがほとんど登校はしなかったということで

映画を作ることよりも
建築の方に興味が深かったようです

そこから現在の東京大学工学部建築科に
入学されたということです

在籍時代から賞を受賞するなど
建築科のセンスも素晴らしいものだったのでしょうね

良い恩師との出会いもあったのでしょうね

そのまま東京大学の大学院に進まれて
その後
東京大学建築家助教授に就任されます。
そして
ご自身の研究所を作られます。

スポンサードリンク

建築家の丹下健三さんの結婚した妻は?

それでは気になる建築家の丹下健三さんの
プライベートの部分をチェックしていきましょう。

建築家としては有名な丹下健三さん

結婚してお子様がいらっしゃったのか
チェックして行きたいんですが

丹下健三さんは、二度結婚していらっしゃって
最初の奥様は加藤敏子さんとおっしゃるようです。

最初の結婚は1949年に結婚されて離婚
その次に1971年にいわたたかこさんと
2度目の結婚をされていらっしゃいます。

この時に
息子さんと娘さんがいらしたということです。

英語のサイトによれば
丹下健三さんお子さんの一人が

丹下健三さんよりも先に亡くなったという
記載もありました。

丹下健三さんは、お子様が先に先立たれ
とても悲しい思いをされていたということです。

現在建築家の丹下健三さんのお仕事は
2度目の妻のたかこさんの

息子さんの丹下憲孝さんが
仕事を継いでいらっしゃいます。

息子さんの子育ては?

息子さんの丹下憲孝さんが幼い頃は
1か月夫婦で家を空けることが多かったので

もちろんお手伝いさんは家にいても
両親がいない寂しさは常にあったそうです。

しかしそこで14歳の息子さんはお父さんに
提案をします。

留学がしたい

そこで14歳の息子さんを
スイスの全寮制の学校に入学させます。

やることがかなり大胆ですよね

14歳の子供スイスの
全寮制の学校に入れることも

なかなか出来る決断ではないと思いますが
さすが世界の巨匠

14歳の息子さんを思い切って
スイスの学校へ留学させます。

しかしその選択が良かったのでしょうね
息子さんも他言語を勉強しながら

ハーバード大学へ進まれました。

とにかく教育方針もすばらしいものでありましたが
息子さんの努力も相当のものだったと思います

孫はいるのか?

建築家の丹下健三さんのお孫さんはいるのか
調べてみたんですが

女の子がいらっしゃいますね

現在はアメリカに留学したいと言っている!!!
と息子さんが話しているインタビューをみました。

息子さんの奥様は、カリフォルニア出身の方!
なんともグローバル一家

建築家の丹下一家は、とにかくインターナショナル
グローバルな世界観を持った一家で

当時では大変珍しいくらいに
グローバルな教育をされてきた一家だと思います。

建築家の丹下健三の自宅は?

それでは次に丹下健三さんのご自宅についてなんですが
一級建築士の丹下健三さんの自邸は、

広島の
平和記念資料館本館の翌年に作られ始めたということなんですね
こだわって自宅を作られたそうです

自邸のコンセプトは?

開放的な庭とプライバシーを守るための住宅

空間が無駄にならないようにもこだわっていたそうです。

そして高床式の純和風建築の計画も
取り入れながら
どこが明るくなるようにもガラスも
取り入れながら設計されていた。

とても素敵なご自宅だったんでしょうね

生涯現役

91歳で亡くなられた建築家の丹下健三さん
最後の最後まで建築家として現役でいたいと
おっしゃっていたそうで

英語のサイトによれば1987年に
そのように宣言されたということで

89歳になっても最後まで現役でいたいと
おっしゃるそのメンタルが素晴らしいですよね

そして89歳まで元気でいらしたのですから
本当に建築と共に生きられた人生だったと思います。

まとめ

今回は、建築家の丹下健三さんについて
まとめてみました。

子育てにおいては、
子離れがとっても早かったように思いますが

現在しっかりと息子さんがお仕事を継いでいて
お父さんの背中をみて育ってきたのでしょうね。

お父さんの背中は大きかったですよね。

建築家の丹下健三さんは、

建築家として89歳まで現役で

2005年に91歳で天国に召されるのを
奥様と息子さんが
見送ってくださった人生だったそうです。

スポンサードリンク