ALOHA!
ハワイ在住のMikiです。
今回は皆さんもご存知の方は多いかと思いますが
見えない
話せない
聞こえない中で
ご自分の力を全て使い
人生を捧げたヘレンケラーとはどんな人物なのか
わかりやすく5分程度で記事をまとめていきたいと思います。
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目次
ヘレンケラーのプロフィールは?
それではまず最初にヘレンケラーの
プロフィールをまとめていきましょう。
ヘレンケラー
生年月日1880年6月27日
出生 アメリカのアラバマ州北部タスカンビア
ヘレンケラーは非常に成長が早い赤ちゃんであった
ということなんですね
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家族は?
ヘレンケラーの家族はと言いますと
非常に裕福な家庭で生まれ育ったヘレンケラー
ヘレンケラーの父アーサーは
非常に家柄も良く農業の経営や週刊新聞の発行を
お仕事にしていました。
ヘレンケラーの父アーサーでは
ヘレンケラーの母ケイトさんの前に
結婚と離婚を経験しており
ヘレンケラーには血の繋がっていない
兄が二人いました。
その後ヘレンケラーの父アーサーと母ケイトさんの間に
弟と妹が生まれます。
この弟と妹が生まれることで
ヘレンケラーにとって話してみたい
みんなと会話をしたい
その気持ちがモチベーションに
なったと管理人は思います。
病気は?
それでは次にどうして
ヘレンケラーが病気になったのかということなんですが
ヘレンケラーの色々な書籍や英語の書籍も確認していますが
1800年代の当時正しい
病名というのは正直わかっていない状態だということです。
色々な本によりますと
猩紅熱(しょうこうねつ)
血が頭やお腹に溜まってしまう病気
このようにヘレンケラーの病気について
書かれている本が多かったですね
ヘレンケラーは
高い熱が約3週間ほど続いたと言われています。
ヘレンケラーが高い熱から覚めた後
家族が話しかけても
以前のように反応することがなかったことから
病院に連れて行き調べたところ
目が見えなくなり
耳も聞こえなくなった
つまり視覚と聴覚を失ってしまったヘレンケラー
年表
1880年6月27日 アメリカ合衆国アラバマ州のタスカンビアで生まれる
1882年 1歳7ヶ月で病気となり目と耳が不自由になる
1886年 ヘレンケラー6歳妹のミルドレッドが生まれる。
1887年3月3日 アンサリバン先生がヘレンの家庭教師としてキラー家に来ます
1890年 ヘレンが10歳の時、ヘレンケラーはどうしても話したいと思うようになり
発声法を学ぶようになります。
1896年 ヘレンケラー16歳の時父アーサーが亡くなり
裕福な生活から一転、資金繰りに苦しむようになります。
1900年9月 ラドクリフ大学に入学
1903年 はじめての著作私の生涯を出版
1904年 ラドクリフ大学を卒業
1904年 サリバン先生と共にアメリカマサチューセッツ州の
レンサムに家を購入し移住
1905年 アンサリバン先生がジョンメイシーと結婚
1914年 ポリートムソンがヘレンの秘書になり
アメリカ大陸横断の講演旅行をする
1917年 レンサムの家を売り、ニューヨーク州ロングアイランドへ引っ越し
1921年 母ケイトがなくなる
1934年 ヘレン54歳の時日本との交流が始まります
岩橋武夫氏がヘレンケラーを訪問
1936年10月20日アンサリバン先生が七十歳で亡くなります
1937年4月 ポリートムソンとともに第1回目の日本を訪問
1948年 ヘレン68歳の時二度目の日本方も各地で講演をする
1955年 ヘレ75歳のとき3度目の日本訪問
1964年 アメリカ政府から勲章メダルオブフリーダムが送られる
1968年6月1日ヘレン87歳
アメリカ州アメリカのコネチカット州ウェストポートで亡くなる。
どんなヒトか?
それでは今次にヘレンケラーがどんな人だったのか
についてまとめていきたいんですが
皆さんはヘレンケラーがどんな女性だったと思いますか
ヘレンケラーがどんな人だったかといえば
一言で言うならば
諦めなかった女性
だと管理人は思います。
幼い頃のヘレンケラーは
一歳7ヶ月で突然光を失い
目や口がないお人形を家族から渡され
自分の気持ちを言葉にできない
表現の仕方がわからない
自分の気持ちを暴れるということでしか
表現できなかったヘレンケラー
しかしアンサリバン先生との出会いにより
ヘレンケラーがもともと持っていた
非常に頑張り屋の部分
諦めない心
その心を実践することを教えてくれたのが
アンサリバン先生との出会いだったんでしょう。
ヘレンケラーの人生は
ご自身の頑張りもありますけれども
家族という血の繋がりを超えた
サリバン先生との出会いが
ヘレンの人生を
大きく変えていったのでしょう。
自分が突然見えない聞こえない世界になったら
話すことを練習しても
自分の声が聞こえないから
どれだけ大変だったと思うんですよね
それでもヘレンは諦めなかった
本当にヘレンケラーがどんな女性だと
一言で言ってと言われれば
ヘレンケラーは何事にもあきらめなかった女性
と管理人はお伝えしたいです。
サリバン先生との出会い
それでは次にヘレンケラーの人生に大きく影響を与えた
アンサリバン先生との出会い
ヘレンケラーがすごい人だと思っていらっしゃると思いますし
ヘレンケラーは本当に素晴らしい方なんですが
ヘレンケラーと同じように
もっともっとたくさんの方に知っていただきたいと思ったのが
ヘレンケラーの家庭教師アンサリバン先生についてです。
アンサリバン先生は
小さい頃から非常に貧しい家庭で育ち
父親は働かないお酒ばっかり飲んでる人
母親は肺結核で
病気の自分を押しながらできる限り
たくさんの愛情をくれた人
アンサリバン先生の弟ジミーは
病気でなくなりました。
アンサリバン先生は
母親が肺結核で亡くなってから
父親や一番下の妹メアリーとは
会うこともなかったと言われています。
生涯孤独の人生を歩んでいたアンサリバン先生が
このこのために暗闇から救ってあげたいと
思ったヘレンケラーとの出会いが
アンサリバン先生自身にも
光をさしてくれたように思います。
トラコーマという目の病気を患っていた幼い頃のアンサリバン先生
ご自身も視力を失う怖さや
孤独な気持ちを
体験したからこそ
ヘレンケラーが心を開くまで
時間はかかったけれども
お二人の固い絆はどこまでも続いて行ったでしょうね。
ヘレンケラーの恋人
それでは次に家庭教師のアンサリバン先生との衝撃的な出会いから
ヘレンケラーの人生は変わっていくわけなんですが
ヘレンケラーが結婚して子供を産んでいたり
恋人がいたのかということ
ヘレンケラーの恋愛事情についてなんですが
ヘレンケラーは生涯独身であったと言われています
しかしヘレンケラーには恋人がいました
ヘレンケラーの唯一の恋人の名前は
ピーターフェイガンという方です。
ピーターフェイガン氏は
ヘレンケラーが非常に忙しくなってきて
アンサリバン先生と結婚したジョンメイシ―が
別居してから
秘書として雇われたひとりの男性です
当時ピーターフェイガン氏は27歳でした。
ひたむきに頑張るヘレンケラーが
指文字を使って相談できる相手だったのが
この秘書のピーターフェイガン氏
ふたりの距離は縮まっていきますが
家族が結婚を反対したことにより
二人は結婚をせずに離れ離れの道になります。
この秘書であったピーターフェイガン氏が
唯一ヘレンケラーの
恋焦がれた人であったと言われています。
ヘレンケラーは
この恋を思い出として心の中にしまっていたんだそうです。
ヘレンケラーの収入は?
それでは次にヘレンケラーがどんな方法
で収入を得ていたのかと言いますと
ヘレンケラーが幼い頃には電話を
発明したグラハムベル氏などを通じて
多くの著名人と交流を取ることで
経済的にも支援してもらったそうです。
しかしを自分で自立をしたいというヘレンケラーの気持ちから
ヘレンケラーがはじめての著作を出版して
その初めての本が多くの国で
通訳されながら読まれるようになり
その収入で家を購入することもありました。
経済的に苦しかったこともあったということですが
世界中渡りながら講演活動をし
ご自身も収入を得ながら
多くの方の支援金と共に
ご活躍されていたヘレンケラー
素晴らしいですよね
ヘレンケラーの眠る墓地は?
それではヘレンケラーが亡くなった後
墓地はどこにあるのかなんですが
アンサリバン先生と一緒に眠っていらっしゃるそうです。
やはりどこまでもアンサリバン先生とヘレンケラーの気持ちは
離れることがありませんね。
ヘレンケラーとアンサリバン先生の墓地は
アメリカのワシントン DC の
ワシントン国立大聖堂に
眠っていらっしゃいます。
実際にワシントン DC のワシントン国立大聖堂に行けば
あなたもヘレンケラーのとアンサリバン先生の
墓地に手を合わせに行くことができますよ。
まとめ
今回は見えない聞こえない話せない
非常に暗い闇の世界から
家庭教師アンサリバン先生と共に
光のある世界へ進んでいった
ヘレンケラーについてまとめてみました。
皆さんももし周りに
目が見えない方や
耳が聞こえない方がいらしたら
少しでも力になりたいですよね
どうしたら自分に何ができるのか
どんなことをして行ったらいいのか
今でも映画や舞台でも語り継がれることの多いヘレンケラー
実際は
言葉では表せないほどの
葛藤や悲しみもあったことだろうと思います。
しかしそれでも前に進んで行こうとしたヘレンケラー
本当に強い女性ですよね。
自分がもしそうなってしまったら
ヘレンケラーのように強く生きれるかどうかは自信がないし
ちょっと腕が痛いなあと思うだけでも
へこんでしまう管理人の弱さですが
本当にヘレンケラーは芯が強くて
諦めない女性でしたね。
皆さんも毎日ハッピーなことばかりじゃないかもしれない
毎日どうして勉強ばかりしなきゃいけないのって思うかもしれない
でもこういった歴史上の人物を知るということは
勉強からではないものも吸収できますよね
ヘレンケラーの生きてきた人生が
どなたかの少しでも光となりますように