肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)のプロフィールや妻と子供は?ドイツで難病と戦う医師




ALOHA!
ハワイ在住のMikiです。

今回は歴史上奇跡の一人物ということで
ドイツで難病チフスと戦った
日本人医師肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)氏について

フォーカスしていきたいと思います。

ドイツで伝染病の一つとしてチフスが蔓延していて
肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師は寝る間もなく

ドイツで医師として人々を助けた
日本人医師の肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)について
フォーカスしていきたいと思います...

スポンサードリンク

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)のプロフィールは?


それではまず最初にドイツで難病チフスと戦った
肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師のプロフィールをまとめていきましょう。

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師

生年月日1980年明治41年10月9日生まれ
出身東京都八王子市

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師の父親は
外科医であり肥沼梅三郎さんと

母親の八ツさんの間に次男として生まれます。

父親の肥沼梅三郎さんは軍の医師として活躍されていましたが
八王子市内に医院を開業されました。

そんな父親の姿を見ていた肥沼信次医師も
自然と医師になることを臨んでいきます。

出身高校と大学は?

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師は、
地元の高校を卒業します。

現在の立川高校を卒業後

高校を卒業してから
医師を目指し
日本医科大学から
東京帝国大学放射線研究室へと進みます。

この方も凄い方

サリバン先生の出身は?結婚生活や夫と子供も気になる。兄弟も調査!

なぜドイツに?

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師が
なぜ当時ドイツに渡ったかと言いますと
日本政府の国費留学生としてドイツに渡ったんだそうです。

日本政府の国費留学制度とは
日本と世界各国相互の教育水準を上げるために
貢献するという意味で設立されたんだそうです。

日本での学費生活費渡航費帰国旅費など
日本政府が援助していたシステムなんだそうです。

このプログラムを利用して
肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師は
ドイツに渡られたんですね

肥沼信次医師が立ち向かう難病とは?

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師は、
1937年昭和12年にドイツに渡りフリードリヒヴィルヘルム大学

現在のベルリン大学で放射線医学研究所に入所

第二次世界対戦直後の1945年頃
ドイツ人たちの収容所などでは
伝染病のチフスが流行っていたんだそうです。

昔は本当に多くの方が
伝染病のチフスで亡くなっていますよね

この当時生きていたアンネ・フランクも
そしてアンネの姉も同じく
チフスでなくなっていますね。

そしてキュリー夫人の姉のゾーシャも
チフスで亡くなっています。

色々な伝記を読んでも
多くの方がチフスで亡くなっていて
当時は治る可能性が低い
伝染病の一つだったんですよね。

すいません話がそれました。
話を肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師に戻します。

朝夜昼問わずずっと忙しくしていた
肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師は、
ご自身もチフスにかかってしまい

37歳の若さでなくなっています。

まさかご自身もチフスにかかるとは
思っていなかったかもしれませんよね

妻と子供は?

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師に妻や子供がいたのかというのを
海外のサイトなどからも
チェックしてみましたが

今のところまだ情報は見つかっておりませんので
情報が見つかり次第更新していきたいと思います。

弟の関係は?

肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師には妹さんもいらして妹さんは
日本医科大学細菌学研究所院花園家に嫁いでいたんだそうです。

そして弟さんがいらっしゃるんですが
弟さんは肥沼栄二さんとおっしゃいます。

お兄さんの肥沼信次医師がドイツでなくなる前に
日本のこと思い出したんでしょうね

桜が見たいとおっしゃったことから
桜を植える活動を弟さんが続けてきたんだそうです。

ドイツに渡ったのが1937年
亡くなったのが1946年

約9年のドイツでの生活で
故郷の日本が懐かしかったんでしょうね。

まとめ

今回は海外ドイツで難病チフスと戦った
肥沼信次医師について調べてみました。

実は肥沼信次医師が亡くなってから
ご家族に亡くなったことが知らされたのは
14年ほど過ぎた頃だったということで

この14年間の間
ご家族はどんなことを思っていたのかなと考えると
胸が痛いです。

現在も肥沼信次医師の功績を讃えて
ドイツと八王子のつながりも続いているようです。

ドイツには肥沼信次医師の
名前がつく公園もあるんだそうですよ

コエヌマビーチボールマスターズという大会も
毎年4月に開催されているんだそうです

そして博士が亡くなった3月8日
毎年慰霊祭も行われているということなんですね。

今もなお亡くなってからも
伝染病であった難病チフスに立ち向かった医師

外国で活躍されて
言葉も違って心細かったでしょうね

しかしご自分の育ってこられた
医者の息子としての魂がしっかりと守っていたんでしょうね

肥沼信次医師の功績を
これからも忘れずに
自分も同じような医師になりたいと思う方が
増えてきたらいいなと思いました。

スポンサードリンク