ALOHA!
ハワイ在住のMikiです。
今回もヘレンケラーの家庭教師として
ケラー家にいらっしゃった
アンサリバン先生についてまとめていきたいと思います。
今回はサリバン先生の指導方法や名言は以前の記事で
まとめております。
サリバン先生の出身や兄弟そして
結婚生活についてフォーカスしていきたいと思います。
サリバン先生の夫はどんな人だったのか?
子供はいらっしゃったのかまとめていきたいと思います。
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目次
アンサリバン先生のプロフィールは?
アンサリバン先生のプロフィールを
別の記事にまとめておりますが
今回も簡単にまとめていきたいと思います。
アンサリバン先生
生年月日1866年4月14日
アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身
没日日1936年10月20日当時70歳
アメリカ合衆国ニューヨークフォレストヒルズにて没
現在 アンサリバン先生はワシントン DCのお墓で
ヘレンケラーと一緒に眠っていらっしゃいます。
サリバン先生の兄弟は?
アンサリバン先生には兄弟がいらっしゃいますが
サリバン先生には弟さんがいらっしゃったわけなんですが
お名前はジミー君と言います。
ジミー君は結核によって体が不自由になってしまい
非常に体が弱かったそんなんですね
サリバン先生よりも先に弟さんはなくなってしまって
孤独な人生を歩み始めたアンサリバン先生
目が見えなかったことから
弟も亡くなり 孤独な人生であったサリバン先生ですが
ヘレンケラーの家庭教師として
ケラー家に来ることによって
アンサリバン先生自身もヘレンケラーに生きる
希望を見ていたように思います。
アンサリバン先生は結婚していたの?
アンサリバン先生は二十歳の時にヘレンケラーの
家庭教師としてケラー家に来てから
ずっと独身を貫いていらっしゃいました。
しかし1905年5月2日 38歳の時に
11歳年下の方と結婚されております。
アンサリバン先生の夫について
アンサリバン先生のこととなった方は
ヘレンケラーと深く関係している方です。
サリバン先生の夫はジョン・アルバート・メイシ―氏
こちらはハーバード大学の講師をしていらした方
なのですよ。
いわゆる職場結婚みたいな感じでしょうか
ヘレンケラーの伝記を読みますと
アンサリバン先生の夫である
ジョン・アルバート・メイシ―氏が描かれています
ジョン・アルバート・メイシ―氏は
ハーバード大学の講師をされていらっしゃいました
へレンが勉強に勉強して大学に入った後
ヘレンのところにみんなを勇気づけるために
自叙伝を書いてみませんかという話が
あったんですね
現在もそのへレンの自叙伝は日本語で
通訳されているわけているので管理人も読みました。
そのヘレンの自叙伝の編集を関わってくれたのが
アンサリバン先生の夫になるジョン・アルバート・メイシ―氏でした。
サリバン先生の結婚生活は?
残念ながらアンサリバン先生の結婚生活は長くは続きませんでした。
1905年に結婚してから実はヘレンケラーと
ずっと同居していたそうなんですね
結婚生活と言っても二人きりの楽しい
結婚生活はアンサリバン先生にはなかったと
いうことです。
それもアンサリバン先生が
望まれたことということもあったのかもしれません
アンサリバン先生の夫ジョン・アルバート・メイシ―氏は
出張などにも一緒に
妻のサリバン先生にも来て欲しかったわけなんですが
ヘレンケラーの講演などにも
つき添っていましたのでへレンの講演を自分の
ことよりも優先するサリバン先生を
ジョン・アルバート・メイシ―氏の気持ちは
離れていってしまったんです。
結婚生活の中で長く続けていくことは
難しかったのかもしれません
しかし別居してからも
離婚はしていませんでしたですので
生涯、サリバン先生の配偶者として
ジョン・アルバート・メイシ―氏がいらしたということになります
アンサリバン先生の子供は?
サリバン先生が結婚されていたわけなんですが
結婚した時には当時38歳
現在の時代ならまだまだお子さん授かれる時代ですが
当時にしたら、晩婚であったにはちがいありませんね
子供がいたのかということを調べてみたところ
アンサリバン先生とジョン・アルバート・メイシ―氏の
間にはお子さんはいらっしゃいません
生涯ヘレンケラーニのために
自分のすべてをアンサリバン先生は捧げていたのですね
まとめ
今回はサリバン先生のプライベートについて
まとめてみました。
ヘレンケラーといえば
目が見えない
話せない
聞こえないという三重苦の中で生きてきた
このヘレンケラーが 点字を読めるようになったことも
聞こえないのに喋れるようになったことも
全ての始まりはサリバン先生との出会いですよね。
現在アンサリバン先生との名前が付けられた
学校があるそうですよ
特別支援学校で ブラジルのリオデジャネイロ州にあるそうで
素敵ですね
アンサリバン先生の学校ブラジルだけじゃなくて
出身地のアメリカにあってもいいんじゃないかなと思うくらいです。
自分の結婚生活も全て含めて
ヘレンケラーを支えてきたと
サリバン先生は奇跡の方だと思います。